It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change. — Charles Darwin
ダーウィンの進化論に同意せず、少なくとも神の存在にあくまでも固執する考えを持つ創造科学やインテリジェント・デザイン (日本では統一協会の関連団体らしい) を信じる人たちは、「人間が偶発的に変化して誕生したと考えるなら、人間の尊厳はどこから来たのか? (人間の尊厳は神によって創造されたとしか考えられない)」と思っている。さらには「日本では進化論偏向教育によって日本神話等が弾圧された」などと発言している。そんな例は聞いたことない。 日本は万の神が存在する国だと言うが、 多くの日本人は、古事記、日本書紀はあくまでも文学であり、宗教書ではないと考えていると思う。キリスト教徒のいう聖書とは明らかに違う。それに人間の「尊厳」にのみ重きを置いた宗教は、言い換えるなら、人間は特別な存在で、他の生物とは一線を引いているというおごりの他ならない。
アフリカのサバンナを命がけで逃げ回るチータが、追いつめられ、逃げ場を失った時、それでも必死に生き延びようと、銃を向ける人間を威嚇している姿に、私は尊厳を見た。
自由を奪われ、日頃から虐待を受けていた象が、檻を破り、街を暴走する姿に、私は尊厳を見た。
盲導犬が飼い主の支えになって、マンハッタンの人ごみを上手に避けて歩き、地下鉄のプラットフォームで、ちょっと腰を下ろしている姿に、私は尊厳を見た。
飼い猫でさえ、してほしくないことをされたとき、人に歯向かう姿に、私は尊厳を見る。
この前、うちへ友人夫婦が遊びにきた時、人と動物のどちらが優先されなければならないかという議論になった。漠然とした話なので結論は出なかったが、私はこう思った。もし目の前に、動物を虐待している人間がいたら、私はその人間を撃って動物を逃がしてやる。
ダーウィンも最愛の娘を失ったとき、「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信したという。どうせいつか死ぬなら、生きとし生けるものすべての尊厳を尊重して、且つ毎日楽しまなくては損、損、というのは私の持論。脳内メーカーもあながち外れていないな。私の脳は「遊」というひと文字で満たされていた。