ローカルのコミュニティ掲示板サイトに投稿してみたところ、つぎのような返事があった。まずはこれ。
NY State Attorney General website:
"Landlords of buildings with three or more apartments must keep the apartments and the buildings' public areas in "good repair" and clean and free of vermin, garbage or other offensive material. Landlords are required to maintain electrical, plumbing, sanitary, heating, ventilating systems and appliances landlords install, such as refrigerators and stoves in good and safe working order. Tenants should bring complaints to the attention of their local housing officials. (Multiple Dwelling Law (MDL) §78 and §80; Multiple Residence Law (MRL) §174. The MDL applies to cities with a population of 325,000 or more and the MRL applies to cities with less than 325,000 and to all towns and villages.)"
大家に修理の義務があることはまちがいないが、支払いに関して明記してない、と思っていると、まさにピンポイントの答えが返ってきた。
"Rent stabilization allows a landlord to replace with a like unit, if they have to put in a new one they can charge you 1/40 per month.
If your apartment is NOT rent stabilized the landlord cannot change the terms of the lease (increase the rent) until the lease expires."
と、いうことは10ドル(だけの)値上げというのは逆に良心的ということになる。いや〜、勉強になりました。ニューヨークに住む皆さんも参考にしてください。
June 28, 2007
June 21, 2007
冷蔵庫、壊れる。
おととい、最近、モーターの音がうるさいなと思っていたら、冷凍庫の氷が溶け出しているのに気づく。冷蔵庫の中も、それほど冷たいというわけではなく、水浸しになっている。
昨日の朝、水を溜めるために冷蔵庫に入れた大型タッパーが水でいっぱいになっている。冷凍庫の側面に張り付いていた厚い氷がすっと抜け、キッチンの床も水浸し。非常事態! 大家に電話して修理屋を送ってもらう。彼は私の目の前で「直しようがない」と大家に電話でメッセージを入れる。しかしながら冷蔵庫は必需品。オンラインで中古の小型冷蔵庫を買い、友達に運ぶのを手伝ってもらう。とりあえず一時しのぎ。
今日の午後になっても、大家から何も連絡がないので、こちらから電話してみる。昨日の修理屋のメッセージは聞いてないとぬかす。代わりの冷蔵庫が必要なら、月々の家賃を10ドル値上げすると言う。この10ドルは、私が引っ越すまでずっと上乗せされるのだと言う。壊れた冷蔵庫は電気ばっかり食って壊れた。電気代まで上乗せされるような冷蔵庫を、またつかまされてはたまらないと思い、「昨日冷蔵庫を買ったので、新しい冷蔵庫はいらない。私の買った冷蔵庫は引っ越す事になった場合、一緒に持ち出す」と伝え、壊れた冷蔵庫の撤去を頼む。大家のオフィスの事務員は「それなら正式に手紙を出してもらわないと何もできない」とのたまる。ああ、書きますとも、今すぐに。「それなら壊れた大家の冷蔵庫をテナントの部屋に置きっぱなしにするという理由で、こっちも場所代請求するぞ!」ってとっさに思うなんて、アメリカ人的発想が自分に染み付いていると気づく。恐ろしや。
昨日の朝、水を溜めるために冷蔵庫に入れた大型タッパーが水でいっぱいになっている。冷凍庫の側面に張り付いていた厚い氷がすっと抜け、キッチンの床も水浸し。非常事態! 大家に電話して修理屋を送ってもらう。彼は私の目の前で「直しようがない」と大家に電話でメッセージを入れる。しかしながら冷蔵庫は必需品。オンラインで中古の小型冷蔵庫を買い、友達に運ぶのを手伝ってもらう。とりあえず一時しのぎ。
今日の午後になっても、大家から何も連絡がないので、こちらから電話してみる。昨日の修理屋のメッセージは聞いてないとぬかす。代わりの冷蔵庫が必要なら、月々の家賃を10ドル値上げすると言う。この10ドルは、私が引っ越すまでずっと上乗せされるのだと言う。壊れた冷蔵庫は電気ばっかり食って壊れた。電気代まで上乗せされるような冷蔵庫を、またつかまされてはたまらないと思い、「昨日冷蔵庫を買ったので、新しい冷蔵庫はいらない。私の買った冷蔵庫は引っ越す事になった場合、一緒に持ち出す」と伝え、壊れた冷蔵庫の撤去を頼む。大家のオフィスの事務員は「それなら正式に手紙を出してもらわないと何もできない」とのたまる。ああ、書きますとも、今すぐに。「それなら壊れた大家の冷蔵庫をテナントの部屋に置きっぱなしにするという理由で、こっちも場所代請求するぞ!」ってとっさに思うなんて、アメリカ人的発想が自分に染み付いていると気づく。恐ろしや。
June 14, 2007
日本人が話す日本語
日本人と仕事をすると、よく言葉の端々に上下関係をかいま見る言い方が出てくる。これはアメリカ人と仕事しているときよりも顕著だと感じる。
最近、特に耳障りだと思うのは「〜に〜をさせる」という言い方。これが外部、取引先の人にいうのなら正解だが、内部でも当たり前のように使われる。「させる」なら「させた」人間が責任をとらなければならないが、その部分は責任放棄する。それなら、なぜ「〜に頼む」と言えないのだろう? それとも私が日本を長く離れているので、そういう使われ方をしていること自体、忘れてしまったのだろうか?
「言葉は生き物だから、日々時代とともに変化する」とおっしゃったのは金田一春彦先生だったと記憶している。本来の意味がどんどん変わっていくのは英語でもあること。もともと"Nice"は、その昔イギリスでは、平凡でつまらないというネガティブな意味だったらしい。今は少なくとも「つまらない」が欠落し、「平凡ではあるが中の上」といったところだろう。話は日本語に戻って、テレビの娯楽番組で言われはじめた言葉がそのままジャーナリストによって使われ、市民権を得てしまうことにいささか怒りを覚える (ところでわたしの好きなテレビ番組は「ジャポニカ ロゴス」)。へんな敬語も謙譲語もうようよしている昨今、こんな風に日本語が変わっていくのはつらい。
話しながら同意を求めるように、言葉の途中で語尾を上げて話す人もいる。主張していても、自信がなさそうに聞こえて、とてもみっともないと思うけど、これももはや市民権を得てしまったのかな?
海外にいるとしかたないことだが、日本語に英語を単語として織り交ぜて話す人も多い。よそうと思っていてもつい出てしまうことがある。もっと気をつけよう。
誰がなんと言おうと、日本語が誰によってどんな風に変化しようとも、私は、私が思う「きれいな日本語」を話していきたいと思う。
最近、特に耳障りだと思うのは「〜に〜をさせる」という言い方。これが外部、取引先の人にいうのなら正解だが、内部でも当たり前のように使われる。「させる」なら「させた」人間が責任をとらなければならないが、その部分は責任放棄する。それなら、なぜ「〜に頼む」と言えないのだろう? それとも私が日本を長く離れているので、そういう使われ方をしていること自体、忘れてしまったのだろうか?
「言葉は生き物だから、日々時代とともに変化する」とおっしゃったのは金田一春彦先生だったと記憶している。本来の意味がどんどん変わっていくのは英語でもあること。もともと"Nice"は、その昔イギリスでは、平凡でつまらないというネガティブな意味だったらしい。今は少なくとも「つまらない」が欠落し、「平凡ではあるが中の上」といったところだろう。話は日本語に戻って、テレビの娯楽番組で言われはじめた言葉がそのままジャーナリストによって使われ、市民権を得てしまうことにいささか怒りを覚える (ところでわたしの好きなテレビ番組は「ジャポニカ ロゴス」)。へんな敬語も謙譲語もうようよしている昨今、こんな風に日本語が変わっていくのはつらい。
話しながら同意を求めるように、言葉の途中で語尾を上げて話す人もいる。主張していても、自信がなさそうに聞こえて、とてもみっともないと思うけど、これももはや市民権を得てしまったのかな?
海外にいるとしかたないことだが、日本語に英語を単語として織り交ぜて話す人も多い。よそうと思っていてもつい出てしまうことがある。もっと気をつけよう。
誰がなんと言おうと、日本語が誰によってどんな風に変化しようとも、私は、私が思う「きれいな日本語」を話していきたいと思う。
June 5, 2007
正義という名の八つ当たり
ユニオンスクエアがフリーマーケットで賑わう日、ネイティブアメリカンの人たちも出店して「テロリストとの戦いは1492年から始まった」とプリントしてあるTシャツを売っていたりする。今ではホームランドを守るためなら敵国に赴いてまで戦うアメリカ。しかも最近の戦争は、当初の目的からかなりずれている。ABCでは毎週日曜朝のニュースで、戦士した兵士の名前と年齢が映し出されるが、みんな10代、20代ばかり。戦士したアメリカ兵士の親はみんな何を思っているのだろう?
この戦争は正義という名の復讐ですらない。単なる八つ当たり。復讐ならオサマビンラディンを攻撃しているはずだ。イラク攻撃は目的が違う。軌道修正してさっさと終わらせるか、この戦争は意味がないと認めて引き上げてほしい。
日本も憲法第9条の改正などしてはいけない。日本にはもっと日常生活レベルの問題が山積みなのだから、戦争へと目を背けないでほしい。
June 1, 2007
信仰の理不尽さ
メモリアルデーの週末、レンタカーを飛ばしてピッツバーグへ出かけた。私にとっては初めてのピッツバーグ。面白い発見がたくさんあった。最初はクルマの中で聞いたラジオ番組。クリスチャン系の放送が多いところを見ると、そういう人たちが多く住んでいるところなんだと、街に着く前に実感させられた。
信仰についていつも思うのは、守らなければならない戒律が、時に理不尽であることに、信者は心底納得しているのだろうかということ。その例としてもっとも顕著なのが、オーソドックスの男性ユダヤ教徒の、真夏に白の長袖シャツと黒のジャケット、しかも立て巻きクルクルヘアの上にヤマカと黒いシルクハット姿。みんな炎天下で汗をダラダラ流している。この服装が唯一とはいえ、スポーツジジムでも白いYシャツはさぞかし不快だろうと思う。時にはパーッと全部脱いでしまいたい衝動にかられないのだろうか? 既婚女性は毛髪を剃ってカツラを被る。長い歴史の中でできた決めごととはいえ、みんなちゃんと守っているという忠実さに驚く。
キリスト教にも、日曜に教会へいくのはともかく、年に一度アッシュウエンズデーという、額に墨をつけるという儀式がある。街中顔に墨のついた人たちが真顔で歩いているのには、いまでも違和感を覚える。キリスト教の教えも、ほとんどのキリスト教徒は忠実に守っているようには思えない。離婚率の高さを考えれば、教会で結婚するときの誓いは偽りに満ちている。
イスラム教に至っては、ほとんど同意しがたい。男尊女卑もいいとこだし、物事の解決方法が暴力と破壊。相対する者との妥協点など決して探らない。利己的で非建設的だ。
こういう宗教を信仰するにあたり、選択肢が狭まったりなくなったりするのなら、いっそのこと信仰しなければいいとも思わないのだろうか?
仏教や禅、そして(天皇が神扱いされる前の)神道を含め、東洋の宗教が時として宗教と見なされないのは、戒律に生活が縛られることがないからだと思う。それに誤解を恐れずに言えば、こちらの方がずっと理にかなっているし、その教えは宗教という枠を超えて、もっと哲学的だし、もっと精神に直結した教え、もっとはっきり言うなら、人間としてのあり方、生き方を自分で考えるための道徳哲学だ。それならなぜ日本人のモラルがここまで低下したのかと問われれば、その教えが貫かれていないからだとしか言いようがない。もしくはなんでもかんでも神様だと崇めてきた結果、人はわけがわからなくなったのだろう。
神道は元を正せば天照大神(太陽)が神様。しかも女神で、その象徴は鏡である。教えは「この世に存在するすべてのものに神が宿る」ので、ものを祖末にしてはいけない。他者を尊ぶという精神から、東洋の宗教は他の宗教の偶像を軽卒に扱わない。大仏の頭をインテリアとしてリビングに飾るのは仏教徒ではない場合が多いが、その無神経さはいったいどこからくるんだろう?
アメリカは多分ヨーロッパより保守的で、例えば同性同士の結婚に関し、聖書の解釈を政治に適用する。多民族、多宗教国家で、こんなことがすべての解決策になると思えないけど、かといって政治と宗教を切り離して考えることができないのも事実。なにせアメリカには、普段は不貞を働いていても、自分の主張を通すときに限って、自分が属している宗教を持ち出す人が多いのだから。
と思っていると、バーでそこに住む人たちをちょっと見下して「進化論もわからないで何がわかる?」と誰かが痛快なコメントを放った。やっぱりどこにでもアウトローはいる。
信仰についていつも思うのは、守らなければならない戒律が、時に理不尽であることに、信者は心底納得しているのだろうかということ。その例としてもっとも顕著なのが、オーソドックスの男性ユダヤ教徒の、真夏に白の長袖シャツと黒のジャケット、しかも立て巻きクルクルヘアの上にヤマカと黒いシルクハット姿。みんな炎天下で汗をダラダラ流している。この服装が唯一とはいえ、スポーツジジムでも白いYシャツはさぞかし不快だろうと思う。時にはパーッと全部脱いでしまいたい衝動にかられないのだろうか? 既婚女性は毛髪を剃ってカツラを被る。長い歴史の中でできた決めごととはいえ、みんなちゃんと守っているという忠実さに驚く。
キリスト教にも、日曜に教会へいくのはともかく、年に一度アッシュウエンズデーという、額に墨をつけるという儀式がある。街中顔に墨のついた人たちが真顔で歩いているのには、いまでも違和感を覚える。キリスト教の教えも、ほとんどのキリスト教徒は忠実に守っているようには思えない。離婚率の高さを考えれば、教会で結婚するときの誓いは偽りに満ちている。
イスラム教に至っては、ほとんど同意しがたい。男尊女卑もいいとこだし、物事の解決方法が暴力と破壊。相対する者との妥協点など決して探らない。利己的で非建設的だ。
こういう宗教を信仰するにあたり、選択肢が狭まったりなくなったりするのなら、いっそのこと信仰しなければいいとも思わないのだろうか?
仏教や禅、そして(天皇が神扱いされる前の)神道を含め、東洋の宗教が時として宗教と見なされないのは、戒律に生活が縛られることがないからだと思う。それに誤解を恐れずに言えば、こちらの方がずっと理にかなっているし、その教えは宗教という枠を超えて、もっと哲学的だし、もっと精神に直結した教え、もっとはっきり言うなら、人間としてのあり方、生き方を自分で考えるための道徳哲学だ。それならなぜ日本人のモラルがここまで低下したのかと問われれば、その教えが貫かれていないからだとしか言いようがない。もしくはなんでもかんでも神様だと崇めてきた結果、人はわけがわからなくなったのだろう。
神道は元を正せば天照大神(太陽)が神様。しかも女神で、その象徴は鏡である。教えは「この世に存在するすべてのものに神が宿る」ので、ものを祖末にしてはいけない。他者を尊ぶという精神から、東洋の宗教は他の宗教の偶像を軽卒に扱わない。大仏の頭をインテリアとしてリビングに飾るのは仏教徒ではない場合が多いが、その無神経さはいったいどこからくるんだろう?
アメリカは多分ヨーロッパより保守的で、例えば同性同士の結婚に関し、聖書の解釈を政治に適用する。多民族、多宗教国家で、こんなことがすべての解決策になると思えないけど、かといって政治と宗教を切り離して考えることができないのも事実。なにせアメリカには、普段は不貞を働いていても、自分の主張を通すときに限って、自分が属している宗教を持ち出す人が多いのだから。
と思っていると、バーでそこに住む人たちをちょっと見下して「進化論もわからないで何がわかる?」と誰かが痛快なコメントを放った。やっぱりどこにでもアウトローはいる。
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