October 19, 2007

「生涯楽しく現役」という贅沢


マリアン マクパートランドがビル エバンスと1978年にNational Public Radioで弾き語りをしているという、心待ちにしていたCDが届いた。

マリアンのピアノを初めて聞いたのは、ジャズレーベルの大御所サヴォイレコードを日本コロムビアが買い取り、これまでリリースされた名盤をすべてデジタル化しCDをプロモートしていた頃、ニューヨークにあったそのオフィスでアシスタントをしていた時だった。彼女の弾く軽やかなジャズピアノに惹かれ、オフィスで次から次と彼女のCDを聞きながら仕事をしていた。その後、彼女が今だ現役でニューポートジャズフェスティバルに出ていることを知り、また今だ現役でレコーディングし、世界をツアーで回っていると聞き、マリアン自身にも興味を持ち始めた。

1918年イギリス生まれで、第二次世界大戦時にドイツでジミー マクパートランドと知り合いアメリカへ。1949年、マンハッタンに住み始め、自身のトリオを組んで本格的に活動を始める。マリアンは現在89歳。今でも現役のジャズピアニストだ。本当に粋な女性で、誰とでも即興でコラボレーションできるテクニックと柔軟な心を持っている。彼女のピアノには、聞く人の心を溶かす何かがある。バーバラ ロングの歌声にもあるが、マイナーなメロディの中にも希望と優しさがあふれている。

誰にも無理することなく、自分の歳を気にすることなく、好きなジャズを楽しんで人生を謳歌しているマリアンには、これからもずっとピアノを弾きつづけていてほしい。

September 27, 2007

昼休みの出来事から

新婦が台湾系中国人の結婚式に出席するため、昼休みにチャイナタウンへ現金をつつむ赤い封筒を買いに行ったときのこと。オフィスに戻る電車をプラットフォームで待っていたら、向こうから大声で広東語を話す女性と、英語で返答している、同じ歳格好の男性が歩いてきた。私の側を通り過ぎる時、その男性は私に「彼女の亭主がお金持って家を出たってさ。金、金って、中国人はイヤだね〜!」と英語で言った。私は「中国語はわからないから」と言うと、その男性は「Are you Japanese?」と聞いてきた。その男性は 中国語は聞き取れるが英語しか話せないようだ。彼の話によると、中国本土から移民してきたばかりの、チャイナタウンで生活している中国人は特にお金に目がないらしい。お金のために家族どうしがいがみ合い、仲違いなどはしょっちゅうあるそうだ。「中国人に近づかない方がいいよ、金のことしか頭にないから」って言うけど、「あなたも中国人でしょ?」と聞くと、僕は ABC (America-Born Chinese) だから違う、と言った。(ちなみにJAPはもう日本人を蔑視した言葉ではない。Jewish American Princessといって、裕福なユダヤ人家庭に生まれてアメリカでわがまま放題に育てられた女性を意味する) その男性は「日本人はいいね。お金のことであれこれ言わなくて」と言った。私は「I don’t know」と言って言葉を濁す。隣の芝生は青くみえるらしい。遊ぶ金欲しさに、親や祖父母、友達、果てには赤の他人まで殺したり恐喝したりする日本人の話は、まだこの中国系アメリカ人男性の耳には入ってないのだろう。

もうひとつ、別の角度からこの出来事を見てみる。この男性のように、複数の言語を理解する人の中には、その中の特定の言語を、読み書きできないけど話せる、話せないけど読み書きできる、聞き取れるけど話せない、という人がけっこういる。前のオフィスで、日本語は話せないけど、言っていることはみんなわかるというアメリカ人がいた。試しに彼に日本語を話したら、瞬時にしかも正確に英語に翻訳してみせた。日系ブラジル人の友達の両親は、それは流暢に日本語を話すが、読み書きできないので、日本へ行った時にとても苦労したと話していた。日本語で道を訊ねても、掲示板を指差すだけで、日本語が読めないというと怒りだす日本人がいたと言う。日本で、顔が日本人で日本語を話したら、確かに誰も読めないとは思わないだろう。もしそういう人が道を聞いてきたら、怒らないで教えてあげてください。それに、アメリカに来て、誰も日本語がわからないだろうと思って、あれこれアメリカの悪いところを公共の場で話さないようにしてください。側に日本語を理解する外国人がいて、こっそり何を話しているか聞いているかもしれません。よそから来た外国人に自国のことをあれこれ言われるのは、あまり気持ちのものではないでしょうから。

September 24, 2007

ステレオタイプの日本人像

今や誰もが知っているコミュニティーサイト・craigslist.com は、洒落っ気がまったくなく、広告もいっさい掲載されていない、シンプルきわまりないサイトだが、いまでは世界中にローカルサイトを持ち、どこからでもアクセスできる。一度大手から買収を持ちかけられたが「営利目的ではないから」という理由で管理責任者はこのいい話を断った。

ここのニューヨークのサイトに、引っ越しで不必要になったものを売りに出した。ここに掲示すると、たいがいのものは24時間以内に買い手がつく。今回出したのは、大小2つのタンス、フルサイズのベッドフレームとフォームマットレス、6メガのデジタルカメラ。いろんな人がいろんな事情で私の持ち物を必要とし、たくさんの問い合わせのメールが来たので、メールが届いた順に返信した。

小さいタンスは、引っ越ししたばかりの彼女がページに乗せた私のタンスの写真を見てほしがっていたので、彼女を驚かせたいという、アイリッシュ系の優しいボーイフレンドが買い手だった。
大きいタンスは中国系のゲイカップルが、さらに値切って買って行った。
ベッドフレームとマットレスは、イタリア系のカップルがブルックリンから取りにきた。翌日ビレッジに引っ越すのだが、ブルックリンに比べるとベッドルームが小さくなるので、クィーンサイズのベッドをあきらめて、フルサイズにしようと決めたところ、私のベッドの写真が目についたらしい。「私たち、そんなに大柄じゃないから、フルで充分だし、あなたは日本人だから、変なものは売らないと思ったから」と彼女。私にこのベッドを売りに出した理由も聞いてきた。「まだ新しくてどこも壊れていないし、シミもないけど、引っ越すにあたってこのベッドが必要じゃなくなった」というと満足そうにしていた。
6メガのデジカメは、学校で出す新聞の編集委員をしている娘がほしがっているからと、その父親が買い手だった。売り手の返信メールの名前で、私が日本人だとわかると、その15歳くらいの娘は私から買うことに決めたのだと、このインド系の親子はカメラを取りにきた時そう言った。「日本人だから信頼できると思った」と言う。

これは買い手になったときにも聞かれた。ヨーロッパで購入したというデジタル一眼レフを買いたいとメールした時、他の人を保留にして最初に私に見せると、売り手のフォトグラファーは言ってくれた。

「日本人は信頼できる」というのはステレオタイプかもしれないが、そういうイメージをこれまでに作ってこられた、 外国に住む日本人の皆さんのおかげで、 私も信頼を得ることができたのだと思う。自分自身のアイデンティティがあやふやになってきたと思っていたら、日本人について、外から教えられた気がする。

August 30, 2007

何が人を美しく見せるか

以前住んでいたクイーンズ地区からマンハッタンのオフィスまで地下鉄で通勤していた時、同じ車両でよく見かける男性がいた。容姿だけでなく、私はその人をとても美しいと思った。

彼は浅黒い肌で、顔つき、骨格からみても明らかにアメリカ先住民の子孫だ。手入れの行き届いた黒い長い髪を背中の真ん中あたりまで伸ばし、身体にちょうどあったサイズのスーツを着て、磨きのかかった靴を履いている。空いた席があっても決して座らず、背筋を伸ばして、顔をツンと斜め上に向けて、まっすぐ堂々と立っている。車両で彼を見かけたときはいつも同じようにスーッと立っていた。いつ見かけても、まるでアメリカンインディアンの血を誇らしげに思っているかのようだった。

一方、自分の生まれた国を嫌う人は、同情する面もあるが、その人を決して美しく見せない。それがどんなに美しい人であっても、なぜか魅力的に見えないのだ。たとえブラジルに生まれても「国としてはまだまだ貧しいけれど、サッカーが強い」とか、「みんな陽気で食べ物はおいしく、生活を楽しもうとしている」と聞くと、その人が生き生きとして見える。

自分の嫌いなものの話ばかりする人は、その話がどんなに面白くても、品格があるように見えない。これは自分にははっきりとした嗜好があることを自慢したい時や、自分にパワーがあることを見せるために、子供が“No”と言い続けるのにも似ている。実際、自分の好きなことや楽しかった体験を話す人が清々しくみえるのとは対照的だ。恥ずかしがってばかりいるのも、謙虚にしているのとは違い、野暮な感じがする。

アメリカには実にいろんな人がいる。いろんな職業もある。どんなバックグラウンドを持っていても、どんな仕事に就いていても、誇りを持って人に語れる人は美しい。ウエイトレスをしている人たちでもプロとして、笑顔で給仕していると、その人がとても頼もしく、美しく見える。

これらは実際に自分で「美しい」人を観察した結果であるが、思えば子供の頃、「姿勢を正しなさい。きちんと話しなさい。笑顔でいなさい。どんな仕事でも、誰かがしなければならないのだから誇りをもちなさい」と、親から言われたことをちゃんと実践すればいいだけのことだと気づいたのも、世界が見えてきた頃だった。

August 20, 2007

差別でなく、偏見でなく、事実からみた犯罪に関する考察

路上で襲われるという話は、ニューヨークの治安がよくなったとされる昨今でも、全くなくなったわけではない。ましてや知り合いがひどい目にあったと聞くと、他人事とは思えない。見ず知らずの人に暴力をふるい、所持品を盗む行為は、顔見知り同士がなんらかの諍いにより起きた事件より卑劣だ。そして、誤解を恐れずに言えば、ニュースで見るかぎり、この手の犯罪者には黒人が多い。知り合いの男性も2人組の黒人の男にやられた。警察に事情聴取されたときも、2人の黒人という以外、何もはっきりとは覚えていないと答えるしかなかったらしい。

私は人種に関して、差別意識はない。でも、実際こうも毎回犯人が黒人であるという事実を突きつけられると、人通りの少ない路上で、黒人の男たちが歩いていたらきっとその通りを避けるか、かなり警戒するだろう。ここではただ「犯罪者は黒人に多い」という事実を述べているだけで、「黒人はすべて犯罪者である」と言っているわけではないと認識していただきたい。また、幼い子供たちを犯罪に巻き込まないよう指導している組織団体も、子供たちには「困ったことがあったら、近くにいる女性に尋ねるように」と指導している。男性の方が犯罪を起こしやすいという統計からだ。これも然り。「犯罪者は男性に多い」が、その逆はあらず、である。

もうひとつは、路上で事件が起きるのは、かなりの確率で「プロジェクト」に近い通りであることも事実だ。知らない人のために補足すると、プロジェクトとは、貧しい人たちが政府から生活保護を受けて住んでいる格安家賃のアパートコンプレックスのことである。しつこいようだが「事件はプロジェクトの近くで起きることが多い」というのは、「プロジェクトの近くで事件は必ず起きる」ということではない。しかし、私の知り合いは、1.プロジェクトからそう遠くはない通りで、2.人通りがまばらな時間に、3.黒人の男2人組に遭遇し、4.ラップトップを小脇に挟んで歩いていたため、事件に遭遇してしまったのだ。

私は人種に関して、差別意識はない。それがプエルトリカンでも、白人でも東洋人でも、もしかしたら日本人でもこの手の事件は起こりうる。でも事実から学ぶと、上記のような条件が揃った時に、何も起るはずがないと確信はできないし、「私は人種差別をするような人間ではない」と証明するために、そこを勇敢に通りすぎる必要もない。身に危険を感じる時、それを否定してはいけない。事件が起こってからでは遅すぎる。

August 16, 2007

健康保険とクレジットカードの因果関係

昨晩11時頃、知り合いの男性が、知らない男2人にイーストビレッジの路上で叩きのめされた。最初は抵抗したが、一人がピストルを持っていたため、されるままになり、購入したばかりのiMacも奪われた。目撃者の通報があり救急車で病院に運ばれ、手当は受けたらしいが、出社はしばらくできない様子。負った傷もiMacを盗られた悔しさもいずれは癒えるかもしれないが、この事件がトラウマにならないとも限らない。それに彼の場合、保険に加入していなかったので、それが大きな痛手になるだろう。ちなみに救急車で病院まで搬送された場合、出動料として約100ドル請求される。治療費以外に緊急医療施設の使用にもお金がかかる。自分で任意で保険に加入していない場合、すべての医療費は自分の懐から出さなければいけないのだ。アメリカでも州単位で健康保険を出しているところがあるが、いわゆる日本で言う「国民健康保険」が、アメリカには存在しない。

実はクレジットカードの負債を抱えているアメリカ人は、買い物やギャンブルにお金をつぎ込んだ人ばかりではない。中には、医療保険に加入していなかったために医療費をカードで支払った人も多い。企業に所属していれば、勤続年数によって企業が負担率を上げてくれるので、医療保険の月額はわずかだが、自分で医療保険に加入するとなると、一人あたり月額は500ドル以上になる。ファミリーで加入するとその3倍に跳ね上がる。これは時給労働をしている人、不定期のフリーランスの人、低賃金の人、また定年退職した人にとっては、かなりの高額だ。クレジットカードの利息が高いことも承知で医療費を支払わざるをえないのは、もし支払えないと、治療そのものが受けられないからだ。それが命に関わる緊急手術だったり、長期にわたる治療だったりしたら、どんな人間だってお金は二の次と考えるだろう。でもその後のカード返済にも、ずっと苦しめられることになる。アメリカは (戦争に若者を次々と送り込むのもそうだが)、健康で仕事をし、税金を納めているうちはいいが、保険に入る余裕もなく、病気になった人を国が金銭的に救済しないという非人道的な一面を持つ。

政治討論の番組で国民健康保険を持つ国の例として、ヨーロッパ諸国や日本の事情がよくテレビで論議されるが、そのたびにアメリカの友人は、私に国民健康保険の利点を聞いてくる。アメリカで保険に入っていない人が病院へ行くと、初診料は100ドル以上かかる。それに比べ、日本で保険証をもって病院へ行く時、まず「いくらかかるか」を考え、病院へ行くことをためらう必要はない。これは病気の初期段階においてはとても重要だと思う。症状が重くなってからでは、治療費も高くつくからだ。

アメリカは今、来年の大統領選に向け、ヒラリークリントンをはじめ民主党員はNational Health Insuranceの実現を公約している。この「国民健康保険」の実現に向けては、クリントン大統領時代に動きがあったが、時間切れとなった形で実現しなかった。ブッシュ政権下においては、国民健康保険など、大統領の頭のかたすみにもないだろう。ヒラリークリントンは「就任した暁には、今度こそ実現させる」と約束している。その日が待ち遠しい。

August 15, 2007

「強い女たち」の大きな間違い

すべてのアメリカ人女性に当てはまるわけではないが、一般的に言って、管理職に就く彼女らはオフィスではとても賢く、強い。女であることを逆手に取らないし、思ったことは何でも発言し、同時にいくつもの仕事を手際よくこなす。その仕事ぶりと態度を見る限り、自分に自信があるのだろう。「私にできないことはない」とさえ思っているようである。でもそういうアメリカ人女性に限って、プライベートな人間関係では同じ過ちを犯しがちだ。夫やボーイフレンドとうまくいってない時でさえ、「私にはこの状況を変えることができる」と言うのである。

アメリカにしばらく滞在し、ちょっと気心の知れたアメリカ人の友人ができたりすると、決まって聞かされる話が、「おいたち」である。これ自体は悪いことではないが、大概、両親の離婚に始まり、それから彼らがどういう気持ちで子供時代を過ごしたかについて語りたがる。私もまだ免疫のない頃は同情したりもしたが、時には「子供の頃に受けた精神的ダメージのせいで、自分は普通に人を信用できない」と、はっきり言う人もいた。問題はそういう男性を好きになった優秀な女性で、挑戦的なまでにその男性を変えようとするのだ。残念なことに、人はそんなに簡単に変わらないものである。だが、つきあっている男性の言動に一気一様し、たぐり寄せたりひき離したりして、男性を自分に向かせようとする。もちろんずる賢い男性もいて、必要なときだけ彼女に優しくなったりするようなので、聞いているだけで疲れる話だ。

『Durty Half Duzen』 という、人間関係をスムーズに長続きさせるためのマニュアル本がある。これは一時期流行した、男性を引き寄せるために女性はどう「演じる」べきかを説いた『ルールズ』より現実的だ。その本には、よい関係を保つ条件として「自分も相手もリラックスした状態で、一緒にいて快適であること。演じないこと。刺激を求め合わないこと。相手をほめていい気分にさせること。できるだけ対等につきあうこと」を挙げている。そこには、いい人間関係を保つために、どういう風に家計を分け合うかも明記してある。

一度そういう状況にいる友人のひとりに「『Durty Half Duzen』 という本にも書いてあるんだけど、もうちょっとラクに考えたらいいんじゃない」と言った。彼女は「これは神が私に与えた試練だから、私が何とかしなければならない」と言った。悲観的な人間関係においては、努力を惜しまない優秀な女性が、献身的なクリスチャンの場合、かなりの悲劇だ。

August 7, 2007

残業にみる日本の企業文化

今、アメリカで放映されているフジサンケイの番組枠の中で、日本の大手企業のテレビコマーシャルがいくつも流れるが、中でもKDDIのCFを見ているととても疲労感を覚える。それはKDDIの男性社員が真っ暗なオフィスでひとり企画を練って、一生懸命に仕事をしている(つもりの)15秒もの。隠されたメッセージは、あえて言うなら「お客様のために、うちの社員はこんなに遅くまで仕事しています」といったところだろう。そんなシーンを見せられて「KDDIはすばらしい企業だ」と誰が思うのだろうか?

昨日転載したニューヨークタイムスの記事にも乗っているが、日本では「夜遅くまで仕事する」のが、一生懸命仕事をしているという証。残業代のために残って仕事するという話も聞くが、私生活を犠牲にしてまで、企業に対する忠誠心を見せなければいけない理由はどこにあるんだろう? それほど長い時間仕事していると、集中力は落ち、ミスが増えるので能率が悪い。おまけにその後「つきあい」というのがあって、会社の同僚と飲みに行き、会社のグチをぶちまけ合う。先日も友人と日本食レストランへ行ったら、隣にいた日本人客のグループが、酔って上司の悪口に花を咲かせていた。その人たちは忠誠心どころか、会社のことをとことん嫌っている感じだった。そんなところでグチってないで、仕事を終えたらさっさと帰宅すればいいのに、と私は思う。そもそも毎日がそんなだと、不健康きわまりない。「ちょっと風邪をひいたくらいで会社を休むな」というのも日本ではよく聞かれる。とんでもない。他の社員に移される方が、会社としてはもっと迷惑なはずだ。でも日本人なら、病気の身体にムチ打って出社し、能率の悪い仕事をするんだろうな。でも、何のために?

私は毎日24時間の使い方を振り分ける。8時間は確実にオフィスにいるのだし、睡眠は最低7時間とり、出勤前の準備に約2時間、通勤には余裕をみて往復1時間とっておく。これでもう18時間だ。明日でもかまわない仕事は明日にまわし、残業しなくてはならないときでも、12時間以上はオフィスにいないよう心がけている。私の中では、これが効率よく気持ちよく仕事ができる条件だ。残された時間は、少しでも自分のために使いたい。それは大切な人と時間を過ごしたり、猫と遊んだり、本を読んだり、テレビを見たり、書きためておいたものをまとめたり、時には友達と出かけたり、議論したり、街をブラブラ散歩したり、映画を観たり、写真を撮ったり。料理でもケーキづくりでも、部屋のかたづけでもいいし、何もしなくてもいい。仕事だけのために1日を費やすと生活のバランスがとれないし、これを1週間単位にすると、週末だけではとても時間が足りないからだ。

「KARO-SHI」は、アメリカでも言わずと知れた言葉になったが、死んでから訴えても遅い。日本の企業文化における残業は、たちの悪い仲間意識であり、チームワークでも企業への忠誠心でもない。日本の皆さん、会社の犠牲になって過労死する前に、もっとご自愛ください。そして、好きで遅くまで仕事している人は、能率よく仕事をこなして定時で帰宅しようとしている人を気持ちよく送り出し「自分がこんなに仕事しているのに」などとは、くれぐれも考えないようにしてください。

August 6, 2007

先進国の異常な現実

ニューヨークタイムスが掲載する日本に関する記事は、いつも否定的なものが多い。それは戦後、アジアの小国ながら経済大国にのし上がった日本の「ここが変だぞ」探しが未だに続いているようにも思えるが、悲しいかな、そこには日本の現実がはっきりと映し出されている。

日本の女性は、女であることへの差別、年齢差別、独身であることへの差別、子供を持っても持たなくても受ける差別と日々戦っている。そして選挙に勝って政界入りした女性までが女性の立場を弁護せず、男性のように考えるようになる。同じ女性でさえ他の女性を差別するのだ。近代化したのはいいが、どこでそうなったか、女性にとってはとても住みにくい国に発展してしまったと思う。女性の労働力を語らずして今日の日本はないというのに、社会の体質が、まだ「女は家を守るもの」なのだ。

以下に今日付のニューヨークタイムスの記事を転載した。1985年、均等雇用法が定められた年、日本で管理職につく女性は全体の6.6%、2005年でもまだ10.1%。一方、アメリカでは同年、管理職の42.5%が女性 (国際労働機関調べ)。この記事は、最後に現場からの声として日本の女性が「出生率の低下は女性が均等に扱われていないことの結果」と語って締めくくっている。確かに、こういう問題からいっさいのがれるためのひとつの手段として日本の女性がとれるのは、結婚しないで、子供を持たないで、自分で稼いだお金でおもいっきり人生を楽しむことだ。それは働く女性ができる、日本への最大の優雅な復讐でもある。

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http://www.nytimes.com/2007/08/06/world/asia/06equal.html?_r=1&oref=slogin

Career Women in Japan Find a Blocked Path
By MARTIN FACKLER

Published: The New York Times August 6, 2007

[Caption 1]
Yukako Kurose said she was forced into a dead-end clerical job after she had a baby.

[Caption 2]
Takako Ariishi said her father fired her from her family’s company after she gave birth.

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TOKYO, Aug. 5 — Yukako Kurose joined the work force in 1986, a year after Japan passed its first equal opportunity law. Like other career-minded young women, she hoped the law would open doors. But her promising career at a department-store corporate office ended 15 years ago when she had a baby.

She was passed over for promotions after she started leaving work before 6:30 each evening to pick up her daughter from day care. Then, she was pushed into a dead-end clerical job. Finally, she quit.

“Japanese work customs make it almost impossible for women to have both a family and a career,” said Ms. Kurose, 45, who now works for a polyester company.

Since the Equal Employment Opportunity Law was passed in 1985, women have become a common sight on factory floors, at construction sites and behind the wheels of taxis. But they have had much less success reaching positions of authority, which remain the preserve of gray-suited salarymen.

In 1985, women held just 6.6 percent of all management jobs in Japanese companies and government, according to the International Labor Organization, a United Nations agency. By 2005, that number had risen to only 10.1 percent, though Japan’s 27 million working women made up nearly half of its work force. By contrast, women held 42.5 percent of managerial jobs in the United States in 2005, the organization said.

Experts on women’s issues say outright prejudice is only part of Japan’s problem. An even bigger barrier to the advancement of women is the nation’s notoriously demanding corporate culture, particularly its expectation of morning-to-midnight work hours.

Government statistics show that many women drop out of management-track jobs when they reach their late 20s and early 30s and start having children. As Japan’s birthrate rapidly declines and its population ages, there are growing concerns that Japan can ill afford to lose so much potential.

“If expected to work 15 hours a day, then most women will give up,” said Kuniko Inoguchi, a former cabinet minister in charge of gender equality. “Japan is losing half of its brainpower as it faces a labor shortage.”

Even with cases of blatant discrimination, lawsuits remain rare because of a cultural aversion to litigation. Another big problem has been that the equal opportunity law is essentially toothless. Despite two revisions, the law includes no real punishment for companies that continue to discriminate. The worst that the Labor Ministry can do is to threaten to publish the names of violators, and the ministry has never done that. As a result, Japan ranks as the most unequal of the world’s rich countries, according to the United Nations Development Program’s “gender empowerment measure,” an index of female participation in a nation’s economy and politics. The country placed 42nd among 75 nations surveyed in 2006 — just above Macedonia and far below other developed nations like the United States, ranked 12th, and top-ranked Norway.

“It’s a pathetic situation,” said Kumiko Morizane, deputy director of the equal employment division in Japan’s Labor Ministry. “Even in Pakistan, where women cover their faces, they had a female prime minister.”

But the painfully slow pace of change reflects ingrained social attitudes about gender roles.

Takako Ariishi, 36, experienced an extreme version of these roles when she grew up as the only child of the president of Daiya Seiki, a small manufacturer owned by her family that supplies gauges to Nissan.

At first, her disappointed father cut her hair like a boy’s and forbade her to play with dolls. When she had her first son 10 years ago, he fired her from the company and anointed the infant grandson as his successor.

Still, Ms. Ariishi took over as president three years ago after her father died. She says she is the only woman in a group of some 160 heads of Nissan suppliers. The first time she attended the group’s twice-annual meetings, she says she was asked to wait in a room with secretaries.

“I still have to prove all the time that a woman can be president,” says Ms. Ariishi, a trained engineer who wears a blue unisex factory worker’s uniform in her office.

She says she goes home every evening at 7 to put her son to bed, but then returns to work. The burden of such long hours pushes most career-track women to quit before they reach management-level jobs. Midori Ito, president of the Action Center for Working Women, a national group that gives legal support to working women, said more than half of career-minded women quit by their early 30s, while others choose to remain single.

One of those is Miiko Tsuda, 38. She said that because she worked until 10 p.m. or 11 p.m. every night at the office of a tutoring school operator, she has not had time to think about marriage.

And yet, Ms. Tsuda says she frequently feels discrimination. She says she earns 10 percent to 20 percent less than men her age. Younger male colleagues ask her and other women to push elevator buttons for them and serve tea. She also says just five women of the company’s 300-some management employees are women, up from zero when she joined 17 years ago.

Still, women’s rights advocates say that the realities of Japan’s shrinking population are slowly forcing change. They say the need to find talented workers has pushed a small but growing number of companies to make more efforts to hire women as “sogo shoku,” or career-track employees, in line for management. Some analysts estimate that about a quarter of career-track hires in recent years have been women.

Some companies are taking small steps to nurture more female managers. Since quitting the department store in 2002, Ms. Kurose has headed the diversity development section at Teijin, a polyester maker based in Osaka. She organizes classes to train women for management, sets hiring targets and helps mothers returning from maternity leave find new positions in the company.

Progress is slow: Only some 50 of Teijin’s approximately 2,000 managers are women, but even that is an almost threefold increase from when Ms. Kurose joined the company, she said.

Now, women’s rights advocates are starting to argue that Japan must make more such efforts — not just for the corporate good, but for survival.

They point to studies showing that nations with greater workplace participation, like the United States, actually have higher fertility rates. Advocates say this is because working women in other countries start having children earlier in life, while many who leave the work force do not do so until their 30s.

“Birthrates here are declining because of a lack of equality for women,” said Ms. Inoguchi, the former minister. “The population shortage is forcing a change in attitudes.”

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August 2, 2007

どれだけあれば幸せになれるか

先日アメリカ人の年配の男性と、私のインド人の友人が口論になったらしく、彼女が私に共感を求めて、その夜電話してきた。 そのアメリカ人男性が「(肥満の)子供が食べたいもの好きなだけ食べる自由と権利」について話し始めたことが発端らしい。私の友人は「肥満の子供は生まれたときから親に食べさせられていたものを好んで食べているだけで、食品に対する知識や健康な食品を食べるという選択肢がその子に与えられていないのだから、それを自由や権利とは言わない」と噛み付いた。その男性は「その子が好きなものを口にしているのだから、選択肢はいらない」と反論したが、彼女は「少なくとも自分の食べているものが何なのか、知る権利がある」と譲らなかった。こんなところにまで自由と権利が出てくるとは、私もただ驚いた。

人間の欲望には上限がない。だからこそ自制することを学ばなくてはならない。食べ物に対する執着心もそうだが、お金もそうだ。1億手元にあれば2億欲しくなる。5億持っている人の話を聞くと、10億欲しくなる。本当に自分に必要な額を大幅に超えていても、あればあるほど裕福に思えてくる。でも、お金がすべてのものさしとなるアメリカより、ヨーロッパの人たちの方が裕福に見えるのはどうしてだろう?

私の知るヨーロッパの人たちは、夏の休暇を2ヶ月とってゆったりと過ごす。決してお金のために盲目的に仕事をすることなど考えていない。自分に必要な額を知っているから、それ以上なくてもいいと思っているようだ。税金が高くても、生活が保証されているから、金儲けにがむしゃらにならないのかもしれない。その暮らしぶりもシンプルで機能的でありながら美しい。成り上がりの悪趣味な豪華絢爛さはどこにもみられない。世界で一番、自分たちは幸せであると感じているオランダ人は、自分を他人と比較しない、高望みをしないことで幸福感を味わうらしい。足が地に着いている人たちなんだろうな。

確かに、 欲しいものがどれだけあっても、人は幸せにはなれない。そして、上限のない欲望をコントロールことで、もっと心豊かに過ごせる ー そう思考を転換すれば、ほしがるだけでなく、今あるものを上手に使う工夫もまた楽しいものだと思う。

July 18, 2007

アメリカのデート事情

アメリカでプライムタイムによく放送されている、一般の人たちが参加する番組の中に、そこそこいい感じの独身男性(時々女性版もある)が25人の中から理想の人を選んでプロポーズするものがある。最初の頃は興味深く見ていたが、公認で複数の相手と同時にデートするのだから、ドロドロした人間関係もテレビに映し出される。すべてオンエアされているのに、平気で怒ったり泣いたりののしったり、喜びのあまり叫んだりしている。素人出演者の肝っ玉もやはりアメリカサイズだ。

日本では『Sex and the City』も人気番組らしいし、合コンなどで知り合うことも多いのなら、デートシーンも欧米化してるのかもしれないが、デートの定義はちょっと日本と違うような気がしたので、さんざんデートしてきた男性ニューヨーカーに聞いてみた。彼曰く、ステディになるまでは、大まかに4段階あるらしい。

第1段階:
まずデートそのものは、ただ知り合う手段にしか過ぎず、そのまま友達になってしまったり、それっきり会わなくなったりすることもある。この時点では、最初、あるいは数回のデートで意気投合しようが、キスしようが、いきつくところまでいってしまおうが、相手はそれほどの感情はなく、複数とデートしていると考えておいた方がいい。

第2段階:
頻繁に会うようになり、気心が知れた雰囲気になってくる。お互いの友達に会って一緒に出かけることもある。でも、まだステディになったわけではなく、チャンスがあれば異性に出会うチャンスのあるところへ出かけて行って、別の人とデートしたりする。選択肢は持てるだけもっておくという考え。このレベルでもステディになったと思ってはいけない。

第3段階:
毎日会わなくても、どちらからともなく連絡を取り合うようになる。相手の気持ちが確認できた上で (ここで初めて“LOVE”という言葉に意味が含まれるようになる)、デートの相手を一人にする。お互いをボーイフレンド、ガールフレンドと呼び、仲間内でも公認になる。家族にもそう言って紹介し合う。

第4段階:
このレベルでは、一緒にいることはもうデートとさえ呼ばない。お互いに将来の話をしたり、家族の行事に一緒に出かけたりする。

注意したいのは、最初の段階で、いきつくところまでいったり、一緒に住み始めたりすると、相手の気持ちがわかりにくくなるばかりか、自分を粗末にしていると、相手のことを見下しやすいらしい。またアメリカではデート相手の友達や家族に会うこともカジュアルだから、最初の段階では、あまりそこに意味を見いださない方がいい。でも、つきあってしばらくしても、相手の友達にも家族にも会ってないようなら、第3段階に進んだと考えない方がいい。また第2段階を飛び越してステディになるケースもあるが、あまり時間が短いと、相手に失望するような出来事があると関係そのものが消滅してしまう可能性が高い。

ちなみに、ロサンゼルスに住む友人から、すごい話も聞いた。ロスで最初にデートする時は、デートの相手が迎えにくると言っても、現地まで自分で行くのが賢いデートらしい。というのも最初のデートでいきつくところまでいきつけそうにない相手だと男性が思ったら、レストランで勘定の前に「トイレへ行く」と行ってさっさと退散するので、食い逃げられるわ、家までの足はないわで、さんざんな目に遭うこともあるとのこと。いったいどこで知り合った、どんな相手のことを言っているんだろう?

ある意味、このレベルチェック方法は理にかなっていると思う。アメリカ人男性(女性)とデートしている人、ひとり芝居にならないよう、ぜひ参考にしてください。お互いが同じレベルで恋愛しないと発展しにくいし、彼(彼女)らは、恋におちるまではデートも合理的に考えてますよ。

July 11, 2007

星条旗を降ろそう

タイムリーな記事がオンラインに掲載されていた。

「9月11日以来、アメリカ人の団結の象徴だった巨大な星条旗。もはや『開戦は、アメリカの誤りであった』ことの象徴にすりかわってしまった今、歴史と由緒あるクランドセントラル駅の構内に掲げられたこの星条旗を、そろそろ降ろしましょう」という内容のもの。

"Gothamist" Local Online News in New York City:
http://gothamist.com/2007/07/11/the_flag_in_gra.php

"New York Observer"
http://www.observer.com/2007/time-flags-leave-station

News Source:
http://www.johnlumea.com/2007/07/at-grand-centra.html

さすが、発想がニューヨークらしい。

July 8, 2007

愛国心の表現方法

アメリカは人目をはばからず「アメリカはNo. 1」といい、星条旗を掲げて愛国心を形にして表現する。でも、この愛国心むき出しの行為に、アメリカ人自身が疑問を持ったことがあったことはあまり知られていない。

2001年9月11日のすぐ後だった。アメリカはテロ行為に屈しないことを世界に向けて知らしめるために、ありとあらゆる公共の場所、各家庭の玄関先に星条旗を上げた。この時、ドイツから友達が訪ねてきていて、空港が全面閉鎖され、予定通りに帰国の途につけなくなったので、ずっと私のアパートに滞在していた。二人で街を歩きながら、私たちは初めて自分たちの国について語りはじめた。
「もし同じことがドイツで起こっても、私たちはアメリカみたいに国旗で通りを埋め尽くすことはないと思う」
「私も日本がこんなふうに日の丸を揚げるとは思えない」
「でも、自分の国をここまで誇れるなんて、アメリカがちょっとうらやましい。私はドイツ人であることを誇りに思っているけど、ドイツはもっと複雑だから... 」私も同感である。日本に生まれたことをとても誇りに思っているが、それは日の丸で表現できない。

しかし、その後アメリカは過激な方向へと向って行った。「星条旗を揚げない家は非国民だ」と。いろいろなところで論争も起きた。学識のある人たちは、あえて星条旗を揚げないという選択をし「愛国心が星条旗だけで計られてはいけない」と言った。そして今、アメリカは世界からだけでなく、アメリカ国民からも自分達の国が間違った方向に向っていると批判されている (とはいえ、大統領の決断に対するものだが)。アメリカはベトナム戦争以来、初めて自分達の国を見つめ直している。軍事大国とはいえ、むやみやたらに戦争していいものか、国益のために若い兵士の命をうばってもいいのかと。

今、日本で日の丸を掲げ、君が代を歌うことをはじめとした「愛国心」を教えるという教育方針が学校教育に盛り込まれると聞いた。瀬戸内静寂さんもおっしゃっているように、愛国心ばかりは教えられない。誰かのことをむりやり愛することはできない。日本の総理はご存知だと思うが、あなたの発言は一字一句、瞬時に各言語に訳されて世界中にオンラインで報じられている。一国の総理なら「Think Globally, Act Locally」という言葉をいつも念頭に置いていてほしい。さもないと、アメリカのように日本が世界から非難を浴びる日がくる。そして被害を被るのは、総理ではなく、日本国民であるということも自覚してほしい。

July 4, 2007

グレーゾーンの美しさ

「正しいこと」と「良いこと」は時々違う。
「正しいこと」は、時代や法律によって変わる。
「良いこと」をするとは、自分の良心に従うこと。
この選択を迫られた時、「正しいこと」を選ぶ理由はただ一つ。自分の利益になるから。
「良いこと」をすると人から非難されるかもしれない。でも誰かを救えるかもしれない。

小学生の頃受けた道徳の授業は、モラル哲学の学習だ。今思えば心の育成を掲げたとても高度な教育だったと思う。小学生がいろいろなケースについて議論しあうが、もちろんここには正解はない。自己主張ばかりでは、相手の立場もいい分も理解できないし、妥協点は見いだせない。 実際、世の中は白黒のつけられないグレーゾーンだらけだ。それを、いろんな立場に自分をおいてケースバイケースで考える。

このグレーゾーンこそが「優しさ」や「人情」だったりする。その昔、日本には至るところにあった。誰かに叱られても、誰かに慰めてもらったり、助けてもらったりした。このバランスが人を成長させる。

総理の言う「美しい日本」構想は、当初「美しい日本をめざす」発言時に、具体的な案はなかったのだろうか? 本当に賢い人は、「私は賢い」とはいわない。本当に美しい人も然り。日本を美しくするのは、情緒ある日本の風情でもなく、日本食でもなく、伝統芸能でもなく、人情だと私は思う。白と黒の間にある心のグレーゾーンこそが、日本人の美だ。この「人情」というグレーゾーンの狭まった今の日本社会には、日本の粋も、優しさも美しさも欠落している。政府は「美しい日本」を連発するのをやめ、日本人が自国を好きになるような国づくりを先決させるべきだ。その向こう側に、心身ともに美しい日本が、静かに微笑んでいると思う。

ところで、道徳の授業はいまも日本の学校に存在し、子供達の日常生活に活かされているのだろうか? 子供たちだけでなく、子供をもつ親の世代も、もう一度学んだ方がいいと思う。最近の親は言いたい放題で、学校の先生が対処に困るくらいひどいらしいから。 

June 28, 2007

追記:冷蔵庫、壊れる

ローカルのコミュニティ掲示板サイトに投稿してみたところ、つぎのような返事があった。まずはこれ。

NY State Attorney General website:
"Landlords of buildings with three or more apartments must keep the apartments and the buildings' public areas in "good repair" and clean and free of vermin, garbage or other offensive material. Landlords are required to maintain electrical, plumbing, sanitary, heating, ventilating systems and appliances landlords install, such as refrigerators and stoves in good and safe working order. Tenants should bring complaints to the attention of their local housing officials. (Multiple Dwelling Law (MDL) §78 and §80; Multiple Residence Law (MRL) §174. The MDL applies to cities with a population of 325,000 or more and the MRL applies to cities with less than 325,000 and to all towns and villages.)"

大家に修理の義務があることはまちがいないが、支払いに関して明記してない、と思っていると、まさにピンポイントの答えが返ってきた。

"Rent stabilization allows a landlord to replace with a like unit, if they have to put in a new one they can charge you 1/40 per month.

If your apartment is NOT rent stabilized the landlord cannot change the terms of the lease (increase the rent) until the lease expires."

と、いうことは10ドル(だけの)値上げというのは逆に良心的ということになる。いや〜、勉強になりました。ニューヨークに住む皆さんも参考にしてください。

June 21, 2007

冷蔵庫、壊れる。

おととい、最近、モーターの音がうるさいなと思っていたら、冷凍庫の氷が溶け出しているのに気づく。冷蔵庫の中も、それほど冷たいというわけではなく、水浸しになっている。

昨日の朝、水を溜めるために冷蔵庫に入れた大型タッパーが水でいっぱいになっている。冷凍庫の側面に張り付いていた厚い氷がすっと抜け、キッチンの床も水浸し。非常事態! 大家に電話して修理屋を送ってもらう。彼は私の目の前で「直しようがない」と大家に電話でメッセージを入れる。しかしながら冷蔵庫は必需品。オンラインで中古の小型冷蔵庫を買い、友達に運ぶのを手伝ってもらう。とりあえず一時しのぎ。

今日の午後になっても、大家から何も連絡がないので、こちらから電話してみる。昨日の修理屋のメッセージは聞いてないとぬかす。代わりの冷蔵庫が必要なら、月々の家賃を10ドル値上げすると言う。この10ドルは、私が引っ越すまでずっと上乗せされるのだと言う。壊れた冷蔵庫は電気ばっかり食って壊れた。電気代まで上乗せされるような冷蔵庫を、またつかまされてはたまらないと思い、「昨日冷蔵庫を買ったので、新しい冷蔵庫はいらない。私の買った冷蔵庫は引っ越す事になった場合、一緒に持ち出す」と伝え、壊れた冷蔵庫の撤去を頼む。大家のオフィスの事務員は「それなら正式に手紙を出してもらわないと何もできない」とのたまる。ああ、書きますとも、今すぐに。「それなら壊れた大家の冷蔵庫をテナントの部屋に置きっぱなしにするという理由で、こっちも場所代請求するぞ!」ってとっさに思うなんて、アメリカ人的発想が自分に染み付いていると気づく。恐ろしや。

June 14, 2007

日本人が話す日本語

日本人と仕事をすると、よく言葉の端々に上下関係をかいま見る言い方が出てくる。これはアメリカ人と仕事しているときよりも顕著だと感じる。

最近、特に耳障りだと思うのは「〜に〜をさせる」という言い方。これが外部、取引先の人にいうのなら正解だが、内部でも当たり前のように使われる。「させる」なら「させた」人間が責任をとらなければならないが、その部分は責任放棄する。それなら、なぜ「〜に頼む」と言えないのだろう? それとも私が日本を長く離れているので、そういう使われ方をしていること自体、忘れてしまったのだろうか?

「言葉は生き物だから、日々時代とともに変化する」とおっしゃったのは金田一春彦先生だったと記憶している。本来の意味がどんどん変わっていくのは英語でもあること。もともと"Nice"は、その昔イギリスでは、平凡でつまらないというネガティブな意味だったらしい。今は少なくとも「つまらない」が欠落し、「平凡ではあるが中の上」といったところだろう。話は日本語に戻って、テレビの娯楽番組で言われはじめた言葉がそのままジャーナリストによって使われ、市民権を得てしまうことにいささか怒りを覚える (ところでわたしの好きなテレビ番組は「ジャポニカ ロゴス」)。へんな敬語も謙譲語もうようよしている昨今、こんな風に日本語が変わっていくのはつらい。

話しながら同意を求めるように、言葉の途中で語尾を上げて話す人もいる。主張していても、自信がなさそうに聞こえて、とてもみっともないと思うけど、これももはや市民権を得てしまったのかな?

海外にいるとしかたないことだが、日本語に英語を単語として織り交ぜて話す人も多い。よそうと思っていてもつい出てしまうことがある。もっと気をつけよう。

誰がなんと言おうと、日本語が誰によってどんな風に変化しようとも、私は、私が思う「きれいな日本語」を話していきたいと思う。

June 5, 2007

正義という名の八つ当たり


ユニオンスクエアがフリーマーケットで賑わう日、ネイティブアメリカンの人たちも出店して「テロリストとの戦いは1492年から始まった」とプリントしてあるTシャツを売っていたりする。今ではホームランドを守るためなら敵国に赴いてまで戦うアメリカ。しかも最近の戦争は、当初の目的からかなりずれている。ABCでは毎週日曜朝のニュースで、戦士した兵士の名前と年齢が映し出されるが、みんな10代、20代ばかり。戦士したアメリカ兵士の親はみんな何を思っているのだろう? 

この戦争は正義という名の復讐ですらない。単なる八つ当たり。復讐ならオサマビンラディンを攻撃しているはずだ。イラク攻撃は目的が違う。軌道修正してさっさと終わらせるか、この戦争は意味がないと認めて引き上げてほしい。

日本も憲法第9条の改正などしてはいけない。日本にはもっと日常生活レベルの問題が山積みなのだから、戦争へと目を背けないでほしい。

June 1, 2007

信仰の理不尽さ

メモリアルデーの週末、レンタカーを飛ばしてピッツバーグへ出かけた。私にとっては初めてのピッツバーグ。面白い発見がたくさんあった。最初はクルマの中で聞いたラジオ番組。クリスチャン系の放送が多いところを見ると、そういう人たちが多く住んでいるところなんだと、街に着く前に実感させられた。

信仰についていつも思うのは、守らなければならない戒律が、時に理不尽であることに、信者は心底納得しているのだろうかということ。その例としてもっとも顕著なのが、オーソドックスの男性ユダヤ教徒の、真夏に白の長袖シャツと黒のジャケット、しかも立て巻きクルクルヘアの上にヤマカと黒いシルクハット姿。みんな炎天下で汗をダラダラ流している。この服装が唯一とはいえ、スポーツジジムでも白いYシャツはさぞかし不快だろうと思う。時にはパーッと全部脱いでしまいたい衝動にかられないのだろうか? 既婚女性は毛髪を剃ってカツラを被る。長い歴史の中でできた決めごととはいえ、みんなちゃんと守っているという忠実さに驚く。
キリスト教にも、日曜に教会へいくのはともかく、年に一度アッシュウエンズデーという、額に墨をつけるという儀式がある。街中顔に墨のついた人たちが真顔で歩いているのには、いまでも違和感を覚える。キリスト教の教えも、ほとんどのキリスト教徒は忠実に守っているようには思えない。離婚率の高さを考えれば、教会で結婚するときの誓いは偽りに満ちている。
イスラム教に至っては、ほとんど同意しがたい。男尊女卑もいいとこだし、物事の解決方法が暴力と破壊。相対する者との妥協点など決して探らない。利己的で非建設的だ。
こういう宗教を信仰するにあたり、選択肢が狭まったりなくなったりするのなら、いっそのこと信仰しなければいいとも思わないのだろうか?

仏教や禅、そして(天皇が神扱いされる前の)神道を含め、東洋の宗教が時として宗教と見なされないのは、戒律に生活が縛られることがないからだと思う。それに誤解を恐れずに言えば、こちらの方がずっと理にかなっているし、その教えは宗教という枠を超えて、もっと哲学的だし、もっと精神に直結した教え、もっとはっきり言うなら、人間としてのあり方、生き方を自分で考えるための道徳哲学だ。それならなぜ日本人のモラルがここまで低下したのかと問われれば、その教えが貫かれていないからだとしか言いようがない。もしくはなんでもかんでも神様だと崇めてきた結果、人はわけがわからなくなったのだろう。

神道は元を正せば天照大神(太陽)が神様。しかも女神で、その象徴は鏡である。教えは「この世に存在するすべてのものに神が宿る」ので、ものを祖末にしてはいけない。他者を尊ぶという精神から、東洋の宗教は他の宗教の偶像を軽卒に扱わない。大仏の頭をインテリアとしてリビングに飾るのは仏教徒ではない場合が多いが、その無神経さはいったいどこからくるんだろう?

アメリカは多分ヨーロッパより保守的で、例えば同性同士の結婚に関し、聖書の解釈を政治に適用する。多民族、多宗教国家で、こんなことがすべての解決策になると思えないけど、かといって政治と宗教を切り離して考えることができないのも事実。なにせアメリカには、普段は不貞を働いていても、自分の主張を通すときに限って、自分が属している宗教を持ち出す人が多いのだから。

と思っていると、バーでそこに住む人たちをちょっと見下して「進化論もわからないで何がわかる?」と誰かが痛快なコメントを放った。やっぱりどこにでもアウトローはいる。

May 31, 2007

日本の民法733条

離婚後の再婚期間短縮案、またそれが白紙に戻されたことに関し、納得がいかないのは私だけではないと思う。昨今では、親子関係はDNAで鑑定できるし、離婚した時点で妊娠しているかどうかも検査ですぐ判明できるのに、なぜ再婚禁止期間が、女性にだけあるのだろう? 日本では「どうしても再婚禁止期間が必要」というのであれば、男性も300日の再婚禁止期間を設ければいいと思う。子供は女性から自然に生まれてくるわけではないのに、男性にも責任がある行為を、女性だけが負うというのは公平ではないですね。

加えて、日本政府が少子化問題を深刻に考えるなら、「子供を生みたい、育てたい」と思う人が、安心して子供を持てるよう選択肢を設けなければいけないと思う。現代医学の発達により、妊娠する方法もさまざま、日本でもライフスタイルは多様化しているし、また、自分で生んだ子供を殺す親もいることを考えれば、子供を生んだ人が親になるのではなく、子供を大切に育てる人が親なのだと、政府はなぜ考えることができないのだろうか? 向井亜紀さんの子供たちがご夫婦の子と認知されていないこと、日本国籍すら与えられていないと聞き、その先進国とは思えない日本の判断に、ただただ驚くばかり。アザラシの何とかちゃんにさえ、住民票を与えた国なのに...。

子供を持つことが女性にとって、どれだけの犠牲と負担になるか、自民党の女性議員でさえご存知ないらしい。昨今は、結婚しても離婚するかもしれない。そうなると、男性ほどの収入にはならなくても、仕事は続けておいた方がいい。もちろん、家事も育児も男性はサポートするだけで、特に日本の場合、ほとんどは女性の役割。これらすべての条件を考えると、よほど環境が整ったラッキーな女性以外で、子供を持とうという気になるだろうか。こんな時代錯誤の日本は、滅んでも仕方ないでしょう。

男も女も人間として平等に大切なはず。現在、日本の経済を支えているのも、その半数は女性によるもの。戦後生まれの総理大臣が誕生した日本に期待していたけど、日本は何も変わっていない。「美しい日本」の実現には、まず国民が幸せであることが大前提のはず。安倍総理の言う美しい日本づくりとは、いったい誰のための、何のためのものなんでしょうか? ご存知の方、教えてください。

May 30, 2007

世界のアメリカ標準化

以前「ほぼ日刊イトイ新聞」のダーリンコラムを読んで、糸井さんにメールした事がある。それは世界中でアメリカが標準になってきているという話題だった。現在の大統領が大統領だけに、「アメリカ標準化」とはおおよそ否定的になりがちだし、事実そうなのだけれど、私にとっては「目から鱗」とも言える事実があったことは認めざるを得ない。

アメリカ、というよりニューヨークで私が学んだことは、まさに人の価値観。「紋切り型文化・アメリカにいて何を言う」と思われかもしれないけれど、価値観においては、ニューヨークを含むアメリカの大都市はかなり進んでいると思う。ただ、それを阻止しているのがアメリカ政府といっても過言ではない。よくも悪くも宗教を信じてる人の多い国だから。

具体的に例を挙げると、ゲイカップルが仲良く生活をともにしていること、さらには彼らが養子を受け入れて育てていること (何もみんなゲイになればいいと言ってるのではない)。日本にいる時、私にはある意味とても典型的な物事の見方しか備わっていなかったので、当初はもちろん「アメリカ人、自由を追い求めるのはいいが、そこまでするか」と思っていた。でも、寄せ集めだけど幸せそうな、そんな家族を見ているうちに「幸せなら、それでいいじゃないか」と思うようになった。いがみあってばかりの家庭で愛情を知らずに育つより、女の子に生まれたばっかりに中国でひどい扱いを受けるより、愛情たっぷりの家庭に養子として受け入れる方がずっと幸せに決まっている。

「人並みの普通の生き方をしてきたつもり」なのに、幸せじゃない人なんてざらにいる。それは他人の期待とか、世間の目とかを気にするあまり、あるいは自分の幸せが何なのかわからないまま、人と同じ人生を送ってしまった人たちの悲劇だ。自分が幸せでいられる方法を知っている人が、どんな状況でも一番の幸せ者だと思う。

確かにアメリカは何でもお金で価値を決めようとする傾向があるけれど、少なくとも人種の入り交じったニューヨークのような都市は、日本社会のように閉鎖的ではない。もちろん、日本を離れたからこそわかる日本の良さも実感しているし、 (本音を言うなら) いい加減、自己主張ばっかりで、人の立場になって考えることができない人が多いアメリカもたくさん見た。 でも、自分で責任の持てる範囲で手に入れたカスタムメイドの自由で、幸せならそれでいいと思う。 他人が口をはさんだところで、所詮自分の人生。他人の生き方に従う必要はない。

「みんな違うのだから、みんなへんで当たり前」というのを前提に仲良くやっていく方法を探るのが、これからの政治であってほしいと思う。6年前の9月11日、目の前でツインタワーが崩れ落ちるのを見てから、いっそうその思いが強くなった。