「正しいこと」と「良いこと」は時々違う。
「正しいこと」は、時代や法律によって変わる。
「良いこと」をするとは、自分の良心に従うこと。
この選択を迫られた時、「正しいこと」を選ぶ理由はただ一つ。自分の利益になるから。
「良いこと」をすると人から非難されるかもしれない。でも誰かを救えるかもしれない。
小学生の頃受けた道徳の授業は、モラル哲学の学習だ。今思えば心の育成を掲げたとても高度な教育だったと思う。小学生がいろいろなケースについて議論しあうが、もちろんここには正解はない。自己主張ばかりでは、相手の立場もいい分も理解できないし、妥協点は見いだせない。 実際、世の中は白黒のつけられないグレーゾーンだらけだ。それを、いろんな立場に自分をおいてケースバイケースで考える。
このグレーゾーンこそが「優しさ」や「人情」だったりする。その昔、日本には至るところにあった。誰かに叱られても、誰かに慰めてもらったり、助けてもらったりした。このバランスが人を成長させる。
総理の言う「美しい日本」構想は、当初「美しい日本をめざす」発言時に、具体的な案はなかったのだろうか? 本当に賢い人は、「私は賢い」とはいわない。本当に美しい人も然り。日本を美しくするのは、情緒ある日本の風情でもなく、日本食でもなく、伝統芸能でもなく、人情だと私は思う。白と黒の間にある心のグレーゾーンこそが、日本人の美だ。この「人情」というグレーゾーンの狭まった今の日本社会には、日本の粋も、優しさも美しさも欠落している。政府は「美しい日本」を連発するのをやめ、日本人が自国を好きになるような国づくりを先決させるべきだ。その向こう側に、心身ともに美しい日本が、静かに微笑んでいると思う。
ところで、道徳の授業はいまも日本の学校に存在し、子供達の日常生活に活かされているのだろうか? 子供たちだけでなく、子供をもつ親の世代も、もう一度学んだ方がいいと思う。最近の親は言いたい放題で、学校の先生が対処に困るくらいひどいらしいから。