June 14, 2007

日本人が話す日本語

日本人と仕事をすると、よく言葉の端々に上下関係をかいま見る言い方が出てくる。これはアメリカ人と仕事しているときよりも顕著だと感じる。

最近、特に耳障りだと思うのは「〜に〜をさせる」という言い方。これが外部、取引先の人にいうのなら正解だが、内部でも当たり前のように使われる。「させる」なら「させた」人間が責任をとらなければならないが、その部分は責任放棄する。それなら、なぜ「〜に頼む」と言えないのだろう? それとも私が日本を長く離れているので、そういう使われ方をしていること自体、忘れてしまったのだろうか?

「言葉は生き物だから、日々時代とともに変化する」とおっしゃったのは金田一春彦先生だったと記憶している。本来の意味がどんどん変わっていくのは英語でもあること。もともと"Nice"は、その昔イギリスでは、平凡でつまらないというネガティブな意味だったらしい。今は少なくとも「つまらない」が欠落し、「平凡ではあるが中の上」といったところだろう。話は日本語に戻って、テレビの娯楽番組で言われはじめた言葉がそのままジャーナリストによって使われ、市民権を得てしまうことにいささか怒りを覚える (ところでわたしの好きなテレビ番組は「ジャポニカ ロゴス」)。へんな敬語も謙譲語もうようよしている昨今、こんな風に日本語が変わっていくのはつらい。

話しながら同意を求めるように、言葉の途中で語尾を上げて話す人もいる。主張していても、自信がなさそうに聞こえて、とてもみっともないと思うけど、これももはや市民権を得てしまったのかな?

海外にいるとしかたないことだが、日本語に英語を単語として織り交ぜて話す人も多い。よそうと思っていてもつい出てしまうことがある。もっと気をつけよう。

誰がなんと言おうと、日本語が誰によってどんな風に変化しようとも、私は、私が思う「きれいな日本語」を話していきたいと思う。