August 15, 2007

「強い女たち」の大きな間違い

すべてのアメリカ人女性に当てはまるわけではないが、一般的に言って、管理職に就く彼女らはオフィスではとても賢く、強い。女であることを逆手に取らないし、思ったことは何でも発言し、同時にいくつもの仕事を手際よくこなす。その仕事ぶりと態度を見る限り、自分に自信があるのだろう。「私にできないことはない」とさえ思っているようである。でもそういうアメリカ人女性に限って、プライベートな人間関係では同じ過ちを犯しがちだ。夫やボーイフレンドとうまくいってない時でさえ、「私にはこの状況を変えることができる」と言うのである。

アメリカにしばらく滞在し、ちょっと気心の知れたアメリカ人の友人ができたりすると、決まって聞かされる話が、「おいたち」である。これ自体は悪いことではないが、大概、両親の離婚に始まり、それから彼らがどういう気持ちで子供時代を過ごしたかについて語りたがる。私もまだ免疫のない頃は同情したりもしたが、時には「子供の頃に受けた精神的ダメージのせいで、自分は普通に人を信用できない」と、はっきり言う人もいた。問題はそういう男性を好きになった優秀な女性で、挑戦的なまでにその男性を変えようとするのだ。残念なことに、人はそんなに簡単に変わらないものである。だが、つきあっている男性の言動に一気一様し、たぐり寄せたりひき離したりして、男性を自分に向かせようとする。もちろんずる賢い男性もいて、必要なときだけ彼女に優しくなったりするようなので、聞いているだけで疲れる話だ。

『Durty Half Duzen』 という、人間関係をスムーズに長続きさせるためのマニュアル本がある。これは一時期流行した、男性を引き寄せるために女性はどう「演じる」べきかを説いた『ルールズ』より現実的だ。その本には、よい関係を保つ条件として「自分も相手もリラックスした状態で、一緒にいて快適であること。演じないこと。刺激を求め合わないこと。相手をほめていい気分にさせること。できるだけ対等につきあうこと」を挙げている。そこには、いい人間関係を保つために、どういう風に家計を分け合うかも明記してある。

一度そういう状況にいる友人のひとりに「『Durty Half Duzen』 という本にも書いてあるんだけど、もうちょっとラクに考えたらいいんじゃない」と言った。彼女は「これは神が私に与えた試練だから、私が何とかしなければならない」と言った。悲観的な人間関係においては、努力を惜しまない優秀な女性が、献身的なクリスチャンの場合、かなりの悲劇だ。