August 2, 2007

どれだけあれば幸せになれるか

先日アメリカ人の年配の男性と、私のインド人の友人が口論になったらしく、彼女が私に共感を求めて、その夜電話してきた。 そのアメリカ人男性が「(肥満の)子供が食べたいもの好きなだけ食べる自由と権利」について話し始めたことが発端らしい。私の友人は「肥満の子供は生まれたときから親に食べさせられていたものを好んで食べているだけで、食品に対する知識や健康な食品を食べるという選択肢がその子に与えられていないのだから、それを自由や権利とは言わない」と噛み付いた。その男性は「その子が好きなものを口にしているのだから、選択肢はいらない」と反論したが、彼女は「少なくとも自分の食べているものが何なのか、知る権利がある」と譲らなかった。こんなところにまで自由と権利が出てくるとは、私もただ驚いた。

人間の欲望には上限がない。だからこそ自制することを学ばなくてはならない。食べ物に対する執着心もそうだが、お金もそうだ。1億手元にあれば2億欲しくなる。5億持っている人の話を聞くと、10億欲しくなる。本当に自分に必要な額を大幅に超えていても、あればあるほど裕福に思えてくる。でも、お金がすべてのものさしとなるアメリカより、ヨーロッパの人たちの方が裕福に見えるのはどうしてだろう?

私の知るヨーロッパの人たちは、夏の休暇を2ヶ月とってゆったりと過ごす。決してお金のために盲目的に仕事をすることなど考えていない。自分に必要な額を知っているから、それ以上なくてもいいと思っているようだ。税金が高くても、生活が保証されているから、金儲けにがむしゃらにならないのかもしれない。その暮らしぶりもシンプルで機能的でありながら美しい。成り上がりの悪趣味な豪華絢爛さはどこにもみられない。世界で一番、自分たちは幸せであると感じているオランダ人は、自分を他人と比較しない、高望みをしないことで幸福感を味わうらしい。足が地に着いている人たちなんだろうな。

確かに、 欲しいものがどれだけあっても、人は幸せにはなれない。そして、上限のない欲望をコントロールことで、もっと心豊かに過ごせる ー そう思考を転換すれば、ほしがるだけでなく、今あるものを上手に使う工夫もまた楽しいものだと思う。